とある少年の予備校での話をしよう

神奈川県の、とある予備校に通う少年がいた。
そうだな…年齢は18、高校3年生という設定にしておこうか。
勉強はそんなに好きではなく、友達も多くはない。おとなしいというわけではないが、クラスの中心的存在というわけでもなかった。
自称進学校に通学しているというのもあり、友人はほぼ全員大学へ進学する。そのような背景もあり、彼もまた大学へ進もうかとぼんやりと考えているうちの一人だった。
その時代には個別指導塾なんてものはほとんど存在せず、塾や予備校といえば黒板の前に先生が立って、熱心に講義を行ってくれる指導が一般的だったそうだ。
彼は高校2年生の秋から大学受験のために、本格的に予備校に通い始めたらしい。
駅前に大きな看板を掲げており、名前を聞けば誰でも知っている予備校だ。
部活も引退し、本格的に大学受験のための勉強をスタートしてから数週間が過ぎた。
予備校の先生による英語や日本史の授業はわかりやすく、また使っているテキストも彼にとって理解しやすい教材だった。
そこそこの難易度の大学を第一志望に据えていた彼にとっては、非常にありがたい環境。
受験勉強は辛く苦しいものであったが、このまま順調に行けば志望校合格もそう遠くないと思えた日々が続いていた。
ある日、彼は予備校の英語の授業に遅刻をした。
教室の後ろのドアから申し訳無さそうにそっと忍び込み、空いている場所に着席し講義を受けていた。
たまたま。
そう、たまたまなのだ。
決して意図した行動ではない。
彼は講義中に寝てしまったのである。
寝てしまったといっても机に突っ伏していたわけではなく、目を瞑った状態の所謂『船を漕ぐ』状態であったようだ。
彼は先生からの一言で目が覚めた。
「一番後ろの寝てる彼、キミもう帰っていいよ。今後一切俺の授業受けないで。」
「寝たいんだったら授業出なくていいよ。」
「どうしたの。早く出ていって。」
先生からすれば当然の言葉だろう。
自分の講義中に遅れて入ってきたにも関わらず、集中もせず居眠りしている。
雰囲気というものは生き物で、塾や予備校、学校の先生は作り上げた雰囲気を壊されることを嫌う。それは『真面目に』講義を受けている生徒に対して失礼だ、と。
彼が注意されることは当たり前のことであり、先生は何も悪いことなどしていない。
彼は「すみません、気を付けます」と謝ってはみたものの、先生が許す気配は無く、仕方なく教室を後にすることに。
それ以降、彼がその先生の授業を受けることはなかった。
その出来事との因果関係があるかどうかはわからないが、結果として第一志望校への現役合格は叶わなかったそうだ。
決して先生や予備校自体が嫌いになったとか、1回休んだから行きたくなくなったとか、そういうわけではない。
80名ぐらいだっただろうか、同じ講義を受けている同じ年齢の生徒たちが聴いている中、マイクを使って教室中に広がる声で注意されたことは、彼にとっては辱めを受けたことと同義だった。
ただただ、恥ずかしく、悲しかったのである。
彼が寝てしまったのはなぜだろうか。
やる気がなかったから?夜遅くまで勉強していたから?徹夜でゲームをしていたから?はたまた、恋人に振られてしてまって深夜まで泣いていたから?
いや、違う。
睡眠時無呼吸症候群だったからだ。
当時の彼は知らなかったが、そういう病気があるそうだ。
簡単に言えば「熟睡できない」という病気らしい。
言われてみれば日中に友達と遊んでいてもふと寝てしまうことがあったり、眠くないのに気付いたら寝てしまうこともあった。
これらの原因がもしも、深夜に熟睡できなかったことだとすると、全て納得がいく。
本人が知らないのだから当然、先生も知るわけはないのである。
遅刻してる時点で彼も真面目ではない、彼のメンタルが弱すぎるだけ、病気について調べていないのが悪い、一発退場を食らわせる予備校講師なんかいるわけない、といった意見が出ても何らおかしくはない。
しかし、論点はそこではない。
彼は『真面目に』講義を受けようと思っていただけ。
先生は『不真面目な』生徒に対し、当然の注意をしたまで。
両者のボタンの掛け違いはどこで起こったのか。どうして起こったのか。
もしも彼がもっと、跳ね返せるぐらいの精神力があれば、
もしも先生がもっと、個別で呼び出して指摘をしてあげられていれば、
彼の人生は違っていたのかもしれない。
先生と呼ばれる人たちは、もっと考えなくちゃいけない。
中学生や高校生は、良くも悪くも多感なのだ。声にならない声を聴いてあげなくてはならないのだ。
塾や予備校は勉強を教える場所、たしかにそうだ。
だけど…
彼の精神力や考え方を、もっと鍛えてあげられなかったのだろうか。
先生の言葉は一人の人生を左右することを、理解していたのだろうか。
その子の声を、言葉を、きちんと聴いてあげられたのだろうか。
そういう想いを持って、私は塾を日々運営している。
もしも『彼』のような人がいたら、伝えたい。
世界には必ず、キミを必要とする人がいるということを。
※記事内容は全てフィクションです。真実はあなたの心の中に。
※ちなみにその予備校は既に無くなっていました。諸行無常。